本質とは逆の捉え方をされる
自分が知っている自分自身とは、全く逆の捉え方をされる事がかなり多い。
繊細なのに鈍感と言われたり、
大胆なのに大人しいと言われたり、
気を遣っていても生意気だと言われたり。
他人と関わっていてビックリするのが、ある程度顔見知りになり話をすることが多くても、本来の自分を知って行ってもらうことはなく、そのまま他人が感じた印象のままの"自分"と会話をしたり遊んだりしていること。
これは日常生活の中での違和感だとか、摩擦が起きた時に知ることになる。
なんでこういう事が起きるんだろう?
いろんなタイプの自分で居る事にトライするのが楽しいから、体験的にいろんな場所へいくと、その場所によって違う人たちがいるから、その人たちの楽しみ方に挑戦するために話を合わせて楽しむ。
郷に行っては郷に従えではないけど、ものすごく社交的だと思う。
でもその中でたまに気が合う人間や波長の合う奴が居ると、
「お前、もしかしなくても内向的な人間だろ?」とすぐに理解してもらえる。
これがラクですごく嬉しい。
擬態がうまいのか、綺麗な服を着てキチンとしているときは、「ええ!煙草吸うなんてウソやろ!」とか言われたりしてたな。
まぁなにが言いたいかというと、
自分がどんな風にしてても、勘違いする奴はするし、本質見抜いてくれる人とは出会うし、特に今までみたいに難しく考えなくてもよいということ。